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ノーベル平和賞


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ノーベル平和賞受賞者を決定するノルウェー議会
オスロ市庁舎外観。

ノーベル平和賞(のーべる へいわしょう、スウェーデン語ノルウェー語: Nobels fredspris、英語: Nobel Peace Prize)は、ノーベル賞の一部門で、アルフレッド・ノーベルの遺言によって創設された五部門のうちの一つ。国際平和、軍備縮減、平和交渉、保健衛生、慈善事業、環境保全などの分野に多大な貢献または影響がある発言を行った人物や団体に対して授与される。

ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授賞はノルウェーで行うことにした。
ノーベル平和賞のみが「スウェーデンではなく」ノルウェーが授賞主体である。

毎年の受賞は最高3者まで。選考はノルウェー国会が任命するノルウェー・ノーベル委員会が行いノーベル平和賞 (Norway the official site in Japan)、受賞が決まるのは、例年10月頃。12月10日にオスロオスロ市庁舎で授賞式が行われる。

受賞者



1900年代


1910年代


1920年代


1930年代


1940年代


1950年代


1960年代


1970年代


1980年代


1990年代


2000年代


その他


マハトマ・ガンディーはノーベル平和賞を受賞しなかった。死後数十年経ってからノーベル委員会が公表した事実によると、ガンディーは1937年から1948年にかけて前後5回ノーベル平和賞にノミネートされていた(1948年は暗殺の直後に推薦の締め切りがなされた)。これについてノーベル委員会は、ガンディーが最終選考に残った1937年、1947年、1948年の選考に関しウェブサイト上で以下のように述べている(Mahatma Gandhi, the Missing Laureate)。

  • 1937年には、彼の支持者の運動が時として暴力を伴ったものに発展したことや、政治的な立場の一貫性に対する疑問、彼の運動がインドに限定されていることへの批判があった。
  • 1947年は、当時インドですでに起きていたヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立への対処に関し、ガンディーが非暴力主義を捨てるかのような発言をしたことで、選考委員の間に受賞に対する疑問が起きた。
  • 1948年は最終候補3人の1人で選考委員からは高い評価を得ていたが、故人に対してノーベル賞を与えられるかどうかで議論が起きた。当時は規定で除外されていなかったが、何らかの組織に所属していなかったガンディーの場合賞金を誰が受け取るかが問題になった。最終的に、受賞決定後に死亡した場合以外は故人に賞を与えるのは不適切だという結論となった。ガンディーがもう1年長生きしておれば、賞を与えられていたと考えるのが合理的であろう。
  • ガンディーがそれまでの他の平和賞受賞者とは異なるタイプの平和運動家であったこと、1947年当時のノーベル委員会には今日のように平和賞を地域紛争の平和的調停に向けたアピールとする考えがなかったことが影響している。委員会がイギリスの反発を恐れたという明確な証拠は見当たらない。

関連項目


脚注



外部リンク



へいわ
平和の賞
ノルウェーの文化



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』